2012年5月10日木曜日

仙谷由人


民主党地方議員フォーラムでの講演
どう「創憲」に取り組むか
〜民主党憲法調査会「中間報告」をまとめて

(2004年8月10日)

仙谷由人(民主党政策調査会長・憲法調査会長) 憲法調査会長を昨年末中野寛成会長の後を引き継いで担当しています。いまの衆議院、参議院の憲法調査会の議論、あるいは民主党内の憲法議論のこの間の流れを簡単に説明し、内容的なお話も少々させていただきたいと思います。

 

憲法を考える視点

 

 憲法というのは、だれでも話ができないわけではない。しかし、やってみると、法律論という部分があるので、非常にややこしい部分がある。さらには政治の局面ではまさに政治的なテーマということになるわけですから、政治論や運動論で流されやすいというか、左右されやすい。憲法の規定は本来はこうあるべきだが、そういうものを憲法に書くとかえって政治や国民の生活が悪くなるのではないか、といった趣の議論も相当聞かれます。いわば法律論としての憲法論、あるいは非常に歴史的な観点、世界的視野の価値観・哲学的な部分を持った憲法理論、国家論と、政治論、政治勢力論が時としてごっちゃになって話をされるわけです。

 もちろんある憲法規定を変えようとか変えまいとかこうすべきだという議論をするときに、これが政治の局面でゆがめられたり、政治的な思惑のもとに使われたりすることは否定できないところですので、今の局面でこういう提起をすることがどういう意味を持つのかということを絶えず考えなければならない。これもまた、政治家を自任する者としては当然のことではあります。

 しかし、我々が絶えず考えなければならないのは、憲法も、最高法規ですが法律ですし、人間がつくったものですから、これを変えてはならないとか変わらないという立場は基本的にはとり得ないということです。時代が変わって人々のライフスタイルやものの考え方、価値観が変わるときには、当然のことながら憲法、国のかたちも変えざるを得ない。変えることによって国民生活が豊かになったり、国家のかたち、我々が国家に関与をするかたちが豊富になるという場合も当然のことながらあり得るわけです。

 歴史を見ますと、イギリスのマグナカルタから約750年、近代国家が成立してからも200年近くたとうとし、一歩一歩人間はみずからの国家に関与し、参加し、統治をするところに近づいていることもまた間違いありません。それと裏表の関係で、人々の自由と権利、人権が豊富になっていることもまた疑いのない事実であると私は確信をしています。 

 

EU統合と憲法

 そして、この6月にEU憲法条約が25カ国によって採択されました。どうすればヨーロッパ各国間で戦争をなくすことができるかということを最大の問題意識にして石炭鉄鋼共同体、当時のECSCがドイツとフランスの間につくられて発展してきたのがEUです。25カ国のEUができたということは、ヨーロッパの中では戦争をしないということです。その観点からこの憲法条約を見てみますと、国境線を挟んでお互いの主権国家が国防軍を配置して国境を守ることが必要なくなったという、きわめて驚くべき事実に気がつきます。

 経済的な共同市場を拡大し、その中でのそれぞれの国の住民の行き来、移動、居住の自由を保障するという人間の自由、活動領域の拡大がなされました。そのことで経済的な発展、物質的・精神的豊かさの実現が保障されるという、まさにその枠組みをつくっているのです。基本にあるのは、まずはアルザス・ロレーヌの石炭争いから始まった国境紛争をなくすという考えで、戦争をなくすことから始まったわけです。

 

「脱亜入米」ではなく、アジアの一員として

 我々もいまアジアに目を向けてみますと、北朝鮮という、近代国家としての民主主義や基本的人権の保障という観点から見れば少々異質の国家が存在します。そして一方では中華人民共和国、これは経済的にもますます発展をしていますが、まだ一党独裁のもとでの政治体制ですし、台湾との葛藤、確執を抱えていますから、3年、5年、10年で国境線を挟んで国防軍が対峙することをやめることができるかどうかと考えますと、容易にはそのことの展望は開かれてこないように思います。しかし、もう少し考えてみますと、中国との関係であれ韓国との関係であれ、いろいろな方々の行動を通じた実感からは、「いやぁ、国境は狭くなったな」。そしてアジアの少なくとも韓国、日本、中国、台湾、ここでは共同で対処をしな� ��ればならない問題がこんなにふえてきたのかという思いに駆られているはずです。つまり共同で対処する以外にうまくいかない、あるいは日本とか中国という国家を超える存在をつくってそこに統治させる以外にこれはうまくいかないという思いを持っている方々が多い。

 例えば、中国との関係でいえば、特に山陰地方や九州の方々が強く思われている酸性雨の問題、SARSや鳥インフルエンザの問題、伝染病の問題というふうに考えますと、できればアジア環境機構でも作った方がいい。あるいは、環境問題の前提にあるエネルギーの共同管理や共同発掘、そういうものもつくったほうがいいのではないか。とりわけ現実に日本のビジネス関係者の一番の関心事は、コピー商品の氾濫と逆輸入でしょう。つまり知的財産権を管理しコントロールできる機構をアジアでつくれないだろうか。知的財産権が侵されればそこに訴えて判決をもらい、それが速やかに執行される、そういう公正なルールに基づいたマーケットをアジアで早急につくりたいと思っている方々も多いのではないでしょうか。

 また反対に、北朝鮮あるいは中台の問題というやや危なっかしい安全保障上の問題もあります。ワールドカップサッカーまでは日本と韓国のとげとげしい関係がめだちましたが、最近の"冬ソナブーム"を見れば、日本と韓国の関係が2、3年で一挙に融和的、協調・友好的になってきたと思います。私は1971年から在日韓国人や朝鮮人に対する差別問題に弁護士として取り組んできましたが、隔世の感がございます。若い人たちを中心にして偏見や差別にとらわれない関係がどんどん広がっている。韓国の若い方々も、2、3年前までは抗日教育を受けてなかなか大変だったのですが、このごろは日本に対する親近感、あるいは文化交流が一挙に盛んになっていることから見ますと、東アジアの共同体の可能性は十二分にある� �

 現に皆さん方が各地域の現場でごらんになっていることは、外国人労働者といわれている方々、研修生、技能実習生という名前で日本に3年間だけ入ってくる。入管法上のワーキングビザが正式に出る労働ではなくても、研修生、実習生名目で入ってこられた方々が何十万も日本には存在するのではないか。人の行き来も昔に比べれば膨大な数に上ってきています。

 

グローバリゼーションと主権国家の変容


ビル·クリントンは1992年に誰を満たしていなかった

 「グローバリゼーション」と一言でいえば簡単ですが、日本を取り巻くグローバリゼーション、そして皆さん方が日々自由にお使いになっているIT機器を中心とする情報化の中で、国のかたちというものも、先ほど申し上げたように主権国家の主権の中身が変わらざるを得ない。そして私どもは当然のことながら、タックスペイヤーとして我々が払った税金の使い道を透明なものとして見る権利がある。見たい、見なければならない、一部の人々にむちゃくちゃに使われることは潔しとしないという、当然の立場を持つわけです。つまり政治参加とか情報公開の問題が、1946年、47年に現行憲法ができたときとはまったく様相を変えていると言っても過言ではありません。

 そういう状況をもとにして、憲法制定から約60年近くになる、この時点で我々はあらためて憲法を考えてみよう。日本がアジアの中で生き延びていくために、あらためて国のかたちを考える。そして国のかたちを法律という形式で書きあらわせば、それは憲法というものであると考えてきました。

 そういう基本的な考え方のもとに約5年議論をしてきました。一昨年から憲法調査会を五つの小委員会に分けました。総論を担当する第1委員会、統治機構を担当する第2委員会、人権保障を担当する第3委員会、地方分権を担当する第4委員会、国際・安保を担当する第5委員会ということです。きょうお手元に「創憲に向けて、憲法提言中間報告」という小冊子をお配りしました。実は2002年に中間報告も出ていたわけですが、もう少し具体的に煮詰めてみようということで、この各小委員会で分担をして議論を重ねてまいりまして、ことしの6月、ここまで一応まとめて集約しました。

 また国会の審議のあり様に興味のおありになる方は、ぜひ衆議院、参議院の憲法調査会のホームページにアクセスしていただいて、そこで掲載をされています議事録と議論の前提になった資料もごらんいただければ、民主党の議員がどういう議論を展開しているか、より詳しくわかると考えます。

 

懐古主義の改悪ではなく、平和主義、基本的人権尊重、国民主権の豊富化を

 ことしの年明けの党大会で菅代表が、2006年中に憲法草案をつくって提言をする、と提起しました。またことしの夏の参議院選挙。私どもはこの参議院選挙で憲法論争あるいは憲法改正問題と称するものが主たる争点になるとはもちろん考えてはいなかったし、なるべきだとも考えてはいませんでした。しかし、小泉構造改革といわれるものが中途半端なものであっても、提起をされて数年たってみますと、構造改革という以上は、日本の現在の閉塞状況の中に、国家のあり方、統治のあり方、人権のあり方を変えていくべきものが潜在をする。少なくともそう考えるべきだろう。いろいろな観点からこれを憲法問題として議論していくべきだろうと考えました。そして参議院選挙で一方的に自民党が、非常に懐古趣味的、守旧� �的な、後ろを振り返る憲法改正論を言う可能性があったものですから、我々は若い民主党、21世紀に政権を取り、新しい日本の、そしてアジアのガバナンスを考える民主党としての考え方を提起しよう。こういう意味で参議院選挙前にこれを取りまとめたいと議論を重ねてきて、中間報告を憲法調査会の役員会、総会にもかけ、ここまで集約をしたということです。

 ここから先はいよいよ「次の内閣」で議論をさらに重ねて行きます。そしてこの方向性、この考え方で我々が憲法、あるいは国のかたちを考えるとしても、この段階ではそれほどの大転換ではない。

歴史的にみると、江戸時代という封建的な身分社会の体制から、明治維新国家という絶対主義的な構造を持つ国家、それでも半分は近代的な統一国家という要素も持つ国のかたちになった、そういう大きな転換があった。それから天皇主権のもとでの明治憲法から、これを否定した戦後の憲法になるとき、これも大きな価値転換です。今回我々の状況はここまでは変化は大きくはない。現行憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権という民主主義の精神と骨格は人類が到達した貴重なものとしてより深め、豊富化させるという立場で、これからの国のかたち、憲法を考えていく。そしてそれは、憲法典の草案だけつくればいいという話ではありません。国民主権制をより深くするためには内閣総理大臣の主導権・執行権を憲 法上規定すべきだし、そう言ったときには、「内閣法をこのように変える」ということがないとあまり意味を持ってまいりません。

 また現行憲法でいう92条から95条までの地方自治の規定を、憲法上「中央政府と地方政府が対等である。地方政府がつくる法律も、中央政府がつくる法律の下位に自動的に置かれるということではない」という内容を盛り込もうとすれば、地方自治法からその他関連法規も全部そのように骨格的に変えることがなければ意味がないと思っていまして、今後はそういう基本法的な、あるいは憲法附属法的な法律をどのように組みかえていったらいいのかということも含めた議論になっていくと思っています。

 

国民の権利を具体的に明らかにする

 私は、学生時代の憲法研究からもう三十数年たち、あらためて衆議院の憲法調査会で議論をし、いろいろな公聴会で皆さん方のご意見を聞いて、なるほど、日本の憲法議論というのはやはり護憲・改憲論争のもとにこういうふうになってしまったのか、と思うことがございます。それは、例えばある改革派的な首長さんが憲法調査会に来られたときに、地方自治体への財源・税源の移譲の問題を私が聞きました。「町長さん、やっぱり三位一体の改革とか税源の移譲とかいうけれども、うまくいかないのは憲法上そのことがちゃんと書かれていないからではないですか。最近のヨーロッパ諸国の憲法を見ると、地方政府の課税自主権をちゃんと書いてある。そこが問題ではないでしょうか」という質問をしました。その首長さん のお答えは「いやいや、憲法は変えなくていいんです。地方自治基本法かなんかをつくって、そこで課税自主権をちゃんと書いてくれればそれで良いのではないでしょうか」、この議論、正しいようで正しくないと思います。

 この言い方でいくと、刑事訴訟法があれば、憲法31条から40条の人身の自由の規定は必要がない、民法がちゃんと男女平等、男女同権の思想で書かれていれば、憲法24条は必要ないということになるわけです。

 例えば人権についても、プライバシーの権利が最近非常に厳しく言われるようになりました。IT社会の中ではプライバシー、個人情報を保護することは従来以上に重要な事柄です。あるいはマスコミは「第4の権力」と言われます。この「第4の権力」の跳梁跋扈とまでは言いませんが、我々もマスコミの力でウソでも一遍書かれたらおしまいのところがあります。どのようにしてプライバシーを守るのかというのは、実は言論の自由、報道の自由との関係で大変悩ましい話です。


香港の旗は何を象徴するのでしょうか?

 庶民の方々でもペンの暴力で本当に被害者になった人もいる。例えば松本サリン事件の河野さんは、一度は完全に社会的に罪を着せられた方です。そういういろいろなプライバシーの問題を今あらためてどう考えるのかというときに、昭和20年といまはメディアの状況は圧倒的に違う。ましてや「2チャンネル」のような存在がIT社会の中でどんどん、これこそ跳梁跋扈、世の中を駆けめぐっている状況の中で、我々の人権、プライバシーをどう守るのかということは喫緊の課題だと思います。

 しかし一方、憲法13条によってプライバシーの権利は判例上守られているので、そんなことを一々憲法上の人権規定として書く必要はないという意見が、日本の憲法学者の大多数の意見です。それも進歩的憲法学者といわれている人々の意見です。ドイツ人の駐日EU大使のツェプターさんに先般衆議院の憲法調査会の場にEU憲法の説明に来ていただきました。そのときに私は聞きました。EU憲法条約の基本権規定は(これは3年ぐらい前からできているわけですが)、日本の憲法の規定よりも詳細に書かれています。なぜこんなに詳細に書かれているのですかと。日本では人権のもっと一般的な条項によって、解釈によって守られるから、一々事細かく書かなくてもいいのではないかという意見があるがいかがでしょうか、と聞き� ��した。

 ツェプターさんの答えは至って明快で、「いや、普通の国民が憲法典を読んだときにすぐわかる、よくわかることが大事なのですよ。学者や裁判官が頭をひねりまくって、幸福追求権のコロラリー(系)としてプライバシーの権利が出てくる、とかなんとかというのでは国民はわかりにくい。簡潔明瞭なのが一番なんです」というお答えをされました。目からうろこが落ちるような気がしました。ああ、そうかと、あらためて思った次第です。その時代、時代の国民が、プライバシーの権利を個別に取り出して、憲法上、人権規定に書くべきだとか、あるいは子どもの人権を、子ども権利条約にのっとった形で日本の憲法にも書くべきだとかは、その時々の国民が何に強く価値を置くかによって決まってくるのだろう。

 時代は変わりますから、先ほど申し上げたように憲法13条の解釈でプライバシーが認められるという判決が行われても私は悪くないと思います。しかし、本来はそういう判例がつくられたときに、大憲法論争が起こってもいいわけで、そのことが憲法典にもあらためて修正第何条とか、あるいは新設第何条でもいいし、第何条の2でも3でもいいですが、書き込まれたほうがいいのではないかと最近は思っています。

 

9条問題− 憲法の空洞化をさせない

 「具体的に」ということを言ったのは、日本国憲法に関してある種のシニシズムが生まれている、なんだ、憲法ってそんなものかと思われている面があるからでもあります。それは憲法9条が存在しながら、警察予備隊創設以降、軍事予算世界屈指の自衛隊という実力、軍事力を持ってきた日本。これを整合的に解釈するにはどうするのか。自衛権という自然権的な権利として存在するのだという言い方でここまで来たわけですが、憲法解釈としては「専守防衛の自衛隊ならば許される」と社会党村山政権が宣言したことによって、国民的にはほとんど異論を挟む余地のない状態にまで到達した。しかしそのこと自身は憲法上明記されていないわけです。

 そのことを明記するかどうか。「9条の改正はけしからん。9条の改正をすれば日本が大軍国主義の国になって、またまた侵略を始めるのではないか」という話が、最近もずっとあるわけです。それは極端にいえば、9条があっても自衛隊をつくってここまで育ててきた。そして国際貢献についていろいろな議論がありましたけれども、それも合憲・違憲の決着のつかないまま、いまはイラクのサマワに自衛隊が駐留している。6月末日まではアメリカ占領軍のお手伝いとして、いまは多国籍軍の一員として存在する。これはどう考えても、憲法の解釈論からしても、あるいは憲法規定がまったく存在しないということからしても、私は国のかたちとしては健全ではないと思っています。

 憲法が空洞化しているとか、形骸化していると言われる実例はここにもあります。

先ほどから反対の論理、裏返しの論理はいろいろな方々の例を申し上げましたが、「憲法は変えなくても法律さえできればいいのだ」という議論と背中合わせになっている議論です。つまり解釈によって行えばいいという議論です。

 国民は必ずしもこの状況をいいと思っているわけではないと思います。もうちょっとけじめのついた立憲政治、憲法に基づいた政治が行われなければならない。翻って考えますと、冒頭申し上げたように時代は変わり、いろいろな環境も状況も考え方も価値観も変わるわけです。いつまでも「憲法を変えられない」という一般論の上に成り立っている限り、どこかで解釈でゆとりを持たせたり、拡大解釈をしたり、現実に行うことを変えたり、つまり「これも合憲だ」というふうに言いくるめてやる手法しか残らなくなるわけです。政治の側が勇気を持って、こういう政策が必要なのだから、そしてこの政策をやるためには、憲法上の規定からすると疑義を生むわけだから、憲法を変えなければならないということを提起するの が政治だと思っています。そしてそれを選択するのは国民、有権者の側です。それをノーと言うのであれば、つまり憲法規定の方が、そのときに必要だと提起した政策よりも重要だというのであれば、その政策はできない。新しい制度・法律はできない。その政策は必要ないのかもしれませんし、本当は必要だけれどもできなかったということにとどまるのかもしれません。しかし、たぶん次の選挙でそのことを掲げた選挙が行われて、政権がかわるか、政権をかえて憲法を変えるか。あるいは新しいことをやろうとした政権が倒れて、そのことができないまま終始するか、こういうことになっていくのが民主主義、国民主権だと思っております。

 したがって、憲法を変えないで、重要な政策を憲法規定にかかわらず変えていく、憲法上問題があってもそれは目をつぶりながら変えていくということは、本来はできるだけなくしたほうがいいと考えています。それはたぶん国民の意思を表明するチャンスが憲法問題、重要な政策問題ということになると思います。

 

国民主権の徹底を−民主党の中間報告

 そこで、民主党の憲法の見直しの論点です。

まず1ページ目から3ページ目までは第1小委員会がつくった[総論]の部分です。ここでは過去に向かって古きよき日本を求めようというのはやめよう。前に向かった憲法論を行おう。そしてこれからの時代に一番大事なのは、先ほど申し上げた国際主義もそうですが、国際社会も含めて「法の支配」をいかに貫徹するかだということを書いてございます。


誰が上院で最長を務めた

 [第2小委員会 統治機構]は、「国民主権に基づく確かな統治をめざして」という表題をつけてありますが、議院内閣制というのは、本来的にのっぺりとした顔のない内閣が統治権を持ち行政権の主体だということではなくて、国民が間接的にせよ政治権力を付与する、負託する。今まで我々は行政権という言葉であらわしてきたわけですが、内閣総理大臣は行政を司るのみならず、政治全般で決定されたことを執行する権限、執行権を持つ。そういう観点から内閣法を含め考え直していく。大きいのは公務員のポリティカル・アポインティー(政治任用)制度を導入する、その根拠をつくりたいということです。

 さらには、今自民党がやっている内閣と与党の二元論を何とかして打破をする。イギリス型の与党・内閣の一元的な体制をつくって、政権交代可能な民主主義、議院内閣制を強めていくということであります。

 それから「二院制のあり方と政党の位置づけ」ということも我々としては考え直さなければならない。政党も憲法上位置づけをすべきではないかと考えています。

 それから国民の意思表明のあり方として、「国会は、国権の最高機関」という規定がいまの日本国憲法には厳然として存在するわけですが、国民投票制度を取り入れる。そのために、「国会は、国権の最高機関」という制度との整合性を持たせるべきであろうと考えているところです。

 そして、違憲立法審査権を活性化させるためにはどうしたらいいのか、あるいは財政についての憲法上の規定をもう少し考え直したほうがいいのではないか。それから、96年の最初にできた民主党からの考え方でいきますと、会計検査院が議会のもとについた行政監視院をつくろうという例のGAOの議論とも結びつくわけですが納税者主権を制度的にどう担保するのかという議論。

 さらに、先ほど人権の話をいたしましたが、日本の場合、基準としての人権規定というのは存在します。しかし、古典的な、国家が人権を侵害する場合にだれがどのように救済するのかという発想で、当然答えは裁判所ということになるわけですが、これは国家と国民の関係に限定しての話です。しかし先ほど申し上げたマスコミと国民の人権侵害問題、あるいは民間と民間の(差別問題などは典型ですが)人権問題をどこでどのように効率的に救済することを実現するのかということが、ほとんど考えられていません。川崎市ではオンブズマン制度が市に存在すると聞いていますけれども、いまヨーロッパ各国では憲法上、もしくは憲法がそういうものを置くことができるという規定のもとに、当然のことながらパリ原則に基 づいた人権委員会もそうですが、オンブズマン制度を憲法上その根拠を置いてつくっている国々が多くございます。つまり日本も人権保障を制度的に担保する必要があるのではないか。これだけ複雑化し専門化した社会においては、そのようなことを真剣に考えないと、裁判所だけではどうも時間がかかり過ぎる。あるいは裁判というのはやはり法律の言葉で専門家がやり合うという構造を持たざるを得ません。国民特に法律に疎い人たちはどうしても裁判から疎外される傾向にございます。そういう人権委員会はじめいわゆる準司法的な機能を持った独立の委員会を、人権保障の観点からも、憲法上の規定を置いたほうがいいのではないかということをここに書いております。

 [第3小委員会 人権保障]は、先ほど申し上げた人権規定の新たな意味づけの変更、あるいはそれをはっきりさせるような部分と、人権保障の制度的担保としての第三者機関をあらためて書いてあるところです。「新しい人権」として規定をすべきだと考えているのは、プライバシー権、名誉権、知る権利、環境権。環境権は、国家、地方公共団体、個人の環境保全義務というふうに書いてあるところもありますが、そういう権利。あるいは自己決定権等々でございます。これも一覧していただいて、あらためてご意見やご批判をいただければと思います。

 「外国人の人権」については、少子化だからというわけではなくて、これだけ市民社会、経済社会が相互依存を含め、相互の浸透・交流が激しくなってきた段階では、一定の範囲内では日本の領土の中で活動し生活をすることを公的に認めるという部分が避けられなくなってくると思います。私はわりと外国人労働者に日本の国を開くほうの積極論者です。その場合には、開いて生活をそこで認める以上、市民権的なものは肯定せざるを得ない。というよりも、することが国際的な人権保障の観点からも必要だろう。当然のことながら、その問題がいずれ発生してくると考えているものですから、外国人の人権を憲法上も構想すべきだろうと考えているところです。

 [第4小委員会 地方分権] ここは、先ほど申し上げた分権国家の創造、中央集権国家から分権国家へ転換するということです。民主党はマニフェストでも、党の幹部のテレビ出演でも、脱官僚ということを秋の選挙でもことしの参議院選挙でも相当声を大きくして言っております。もう一つは、脱中央集権、地域主権の確立です。私はそのことのまさに原理的な部分を憲法上規定すべきだと、この間いろいろなことを考えるにつけて思います。権限規定「中央政府がこの権限、地方政府がここまで」というのをどこまで憲法上書くか。あるいはドイツの基本法などは税目まで書いてあります。

中央政府が徴収できる税金の項目、地方政府が徴収できる税金の項目まで書いて、それから両方がお互いに取れる部分、共同税の部分というふうに書いてあります。そこまで書かなくても、地方政府が課税自主権を持つということだけは原則として確認をする。いまもそのことは地方分権論議の中で言葉としては出ていますが、これは憲法上書かれていない。「地方自治の本旨」とはそういうものだと、こう言われるわけで、「そうは言っても」という議論の中で、財務省と総務省のお金の争いが最後に発生して、昨年のような三位一体改革の中身になってしまう。1兆円の補助金が削減して、4200億だったですか、税源譲与をしただけ。それも地方交付税総体としては減らすわけですから、何がどうなったのかわからず詐欺に遭� �たような感じです。予算を組もうと思ったら金がないというのが各市長さん、町長さんの印象だったのではないでしょうか。やはりここは原則に返って、いわゆる「補完性の原理」とか、課税自主権というのは憲法上書くべきだろうと思っています。

 

憲法の下の安全保障の確立をめざして


 さて、最後の[第5小委員会 国際・安保]−「憲法の下の安全保障の確立をめざして」という項目があります。9条の問題と国際貢献。もう少し法律論的に申し上げますと、実は国連憲章を日本国憲法下においてどのように受容するか、統合的に解釈するかという問題があります。このことは先ほど申し上げた新しい国のかたち、国家主権のあり方との関係でいうと、時代はもうワンサイクル回って、EU憲法は主権の共同行使、あるいは主権移譲という観念でこの安全保障の問題を解決しようとしてきたということです。つまりEUで相互集団安全保障の措置を決めたときには、これは兵力を提供するとか、主権を移譲するとか、わが国が持っている防衛主権の一部を移すということを、イタリアで、ドイツで、フランスで、ベルギ ーでというふうに、それぞれの国家がその部分の主権を移譲する。移譲を受けたEUは、そこでEUの緊急展開部隊をつくって、EUの周辺で起こっている国際紛争に対処する。こういうことになるのだろうと思います。つまりEU憲法条約草案もそうですし、EU加盟国の中ではそのために憲法改正をして、国連及びEUに、そこが相互集団安全保障の措置を定めた場合には、主権移譲をするという規定をわざわざこの10年間ぐらいで整備をしました。

 条約に効力があるのか、憲法が優先するのか、憲法と条約、どちらが優位なのか、これは答えがなかなか出ないところです。昔の条約というのは2国間条約が普通ですから、憲法のほうが優先するだろうという議論が強くてもいいわけですが、国連であれEUであれ、あるいはアジアでその種の機構ができれば、アジア知財保険機構でもWHOのアジア版でも、伝染病防止のためにとか、知的財産権の海賊版取り締まりのためにとか、何か決められたときには、そちらの法理が優先する。そうしないなら二律背反の問題が起こってまずい。こういうマルチタイプ、多国間の装置の中での条約と二国間条約とではおのずから答えは変わってきます。先進国の中ではいまここまで来ている。それを展望して我々は考えなければならないだろ� ��と思っているところです。

 「国際協調主義に立った安全保障の枠組みの確立を」の箇所をごらんいただきますと、我々は憲法の中に国連の集団安全保障活動を明確に位置づけるべきである。集団安全保障活動というのは国連憲章51条以下に書かれております。

 第2に、国連憲章上の「制約された自衛権」について、これを憲法上も明記をするということです。「制約された自衛権」というのは、これは個別的・集団的自衛権と書いてありますが、その制約とは、緊急やむを得ない場合、国連の集団安全保障活動が作動するまでの間、あるいはその活動の展開に際しては国連に報告する、そういう制約を受けた自衛権ということであります。

 第3に、「武力の行使」については、最大限抑制的であることをちゃんと書かなければならない。わが国の安全保障活動は、この姿勢を基本として、集団安全保障への参加と、「専守防衛」を明示した自衛権の行使に徹する、こういう政策的な立場を憲法上もちゃんと規定をしたほうがいいのではないかというのが我々憲法調査会の考え方です。

 

質 疑

質問1

 9条の1点に絞って申し上げます。

憲法9条第2項にある日本の戦力の不保持と交戦権の否定、これをそのままにしておいてはいけない。戦力の不保持というのは、形骸化の最たるものでしょう。

 平和主義を守るためにも、憲法の前文と第1項を守るために、2条の交戦権の否定と戦力不保持を変えなければだめだということを申し上げる。

質問2

 今後民主党としての憲法提言がどのようにまとめられていくのかお聞きをしたい。例えばここにいる地方議員、あるいは都道府県連、その下の総支部等に、この憲法についての議論が全然おりてこない。今後そういった機会あるいは時間を保障した中で、党としてこの憲法については考え方をまとめていかれるのか。

質問3

 憲法の中で国民主権、これが三つの中で一番守られていないというか、実現されていないと思っています。一歩でも直接民主主義に近づける国民主権、これはやはり一番大事な論議になると思いますので、ぜひ国民の意見を聞く、そういう方向でこの憲法改正に向かっていってもらいたいと思います。

 

仙谷 1番目のお話は、法律技術的にテクニカルタームというか、法概念としてどういう言葉で1項、2項、3項、4項、5項というふうに書くかというのは、これから議論をさせていただきたいと思っています。専門家の学者や裁判官や弁護士さん、そういう人の用語の使い方、そして国民にわかりやすい用語・概念を使わなければならない。もし草案という格好で書くのであればそういうことになるのではないかと思います。

 2番目のお話が、我々にとってこの間一番悩ましく感じてきたところです。民主党の憲法調査会でここまで来ましたので、これをもって各県で地方版の憲法調査会というか、民主党憲法調査会公聴会等、議論をさせていただく機会を持ちたいということを憲法調査会の役員会では考えておりました。選挙、選挙でなかなか機会がなかったのですが、私のところにそういう直接のご要望がございましたので、タウンミーティングのような格好で憲法ミーティングをする予定にしているところもございます。党のほうで早急にどうやって各地域でご意見を伺うかということを考えてみたいと思っています。

 3番目のご意見も同じような趣旨だと思います。新聞と自民党の憲法論議を見ていますと、足元の我々の生活課題、政治課題から目を横に向ける、あるいは上に上げる。争点のせり上げ現象ということですが、政権が行き詰まってくると憲法問題を提起する癖がある。憲法問題はきわめて重要ですが、その時々によって最大テーマなのかどうかはその都度判断していかなければという気持ちも持っています。

 そしてどうやれば一人一人の国民の憲法問題に対する思い、あるいはその底にある政策的なテーマについて、例えばイラクに自衛隊が行くのはイエスなのかノーなのかということも含めて、お伺いができるのか、どういう方法でできるのかということをいつも考えながら、憲法議論をしているということです。ここはやっぱり動いてみるしかないと思いますので、できるだけ時間をつくって憲法論議をしながら、具体的な生活課題の政策テーマについても議論をする機会をつくらせていただきたい。

 

 



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